2020年4月の記事一覧

創立記念日に寄せて

 本日4月17日は創立記念日です。大正9年(1920年)に古川高等女学校が開校,その後,古川女子高等学校,そして古川黎明中学校・高等学校と変遷し,今日記念すべき100周年を迎えました。本年10月23日には100周年記念式典が予定されております。

 創立記念日に寄せて,3月に刊行された生徒会誌「白梅第62号」に寄稿した文章を掲載します。私自身が感じる教員という職業の魅力についてしたためました。学校が再開され,黎明中学校・高等学校の生徒たちと一緒に学べる日が一日でも早く訪れることを切に祈っています。                

 

                 「教え子のラグビージャージ」
                 ~一途に!そしてひたむきに!~                            <白梅第62号の表紙>                                    校長 小川 典昭
 2009年11月,ユアテック仙台スタジアムの最前列,時計を見ながら残り時間をカウントダウンする自分がいた。じりじりと時間が過ぎる。こんなにも時間がたつのを遅く感じるのは,競技時間に制限がないソフトテニス競技を長く経験してきたからだろうか。

 絶対王者仙台育英高校ラグビー部を追い詰め,残り時間あと5分となって3点をリードする仙台三高ラグビー部。この試合に勝てば全国大会花園出場!「はやく試合終了のホイッスルが鳴れ!」と何度時計を見たことか。

 押し込まれ,ノーサイドの笛寸前に逆転のトライを許す。育英の選手たちの目には涙が溢れる。しかしそれはうれし涙というよりは自分たちの代で連続優勝が途切れてしまう恐怖心から逃れた安堵の涙であったように感じられた。「万事休す!」と肩を落とした私たち応援席に聞こえてきたのは「まだだ!いくぞ!」と仲間を鼓舞する聞き覚えのある声。左右の鎖骨骨折を乗り越え,力強く選手を牽引する主将の声だった。諦め,うなだれる選手は一人もいない。力強い主将の声に促され,全員が走り出す姿に心打たれた。

 入学してきたばかりの頃は体の線は細く,繊細な性格もあり,グラウンドに向かう後ろ姿は見るからに弱々しかった。常にどこかしら怪我を負い,担任として何度か転部を進めたような記憶がある。それが浪人生活を経て関東大学ラグビー界の名門,早稲田大学ラグビー部に入部したとの知らせを受け驚いた。

 無名の選手には厳しい世界と知りつつ挑戦するのだから,余程の覚悟が必要である。どこにその強靱な精神が隠されていたのだろう。そんなにもラグビーという競技には魅力があるのかと当時の私は不思議に思ったのを覚えている。

 日本中を沸かせたラグビーワールドカップが閉幕,宴の後の集客を心配する声をよそに,社会人ラグビーや高校ラグビーに観客がわんさと詰めかけている。強豪を次々に破り,決勝トーナメントに進出したことが盛り上がりの要因ではあろうが,「ONE TEAM」をスローガンに,外国出身選手が日の丸を背負い,母国を相手に闘う姿は,日本人の心を揺さぶり,目頭を熱くした。リーチ主将を先頭に肩に手を乗せ,全員が一つになり入退場するシーンは,これからの日本が目指す国際性豊かな社会を体現するかのようなわくわく感をも感じさせた。さらに,活躍した選手が自分ばかりに脚光を浴びるのを嫌い,「自分の役割に過ぎない」とコメントする選手の言葉を聞くにつけ,ラグビーという競技の魅力に改めて気付かされた。敵も味方もない,ましてや日本人や外国人の区別もない。そこにあるのはラグビー競技の歴史が育んだ精神性,選手同士への「敬意」なのだと。

 早稲田大学2年生に在籍時,春先に母校を訪れた際,一緒に食事をする機会があった。肩幅が1・5倍,私を見下ろすような体格で現れた彼は,この2年間で一般受験で入部した多くの部員が退部してしまったことや,レギュラーになることは至難の業であることを淡々と語った。しかし,彼の声は憧れの臙脂と黒のジャージを,いつか公式戦で着るんだという強い決意に溢れていた。

 それから2年後,私の携帯に留守電があり,現役最後の試合でベンチ入りし,あこがれのジャージを着ることになったこと,そして是非応援に来て欲しいという,彼にしてはちょっと興奮気味の声があった。部活の顧問でもない私に対し,卒業してからも丁寧に連絡をくれる彼に,教員であることの喜び,嬉しさを感じ,感謝の気持ちでいっぱいになった。 ワールドカップを放映するテレビカメラはピッチサイドで闘っている選手の一挙手一投足に一喜一憂し,必死に応援するイレギュラーの選手を映し出す。そんな時,ふとあこがれのジャージを着て,ピッチサイドでレギュラーを支えていた教え子の姿が重なる。あのとき彼はどんな気持ちでピッチサイドに立っていたか。夢を諦めず最後の最後にベンチ入りの座を勝ち取り,レギュラーと同じジャージを着て誇らしげだったか。ピッチに立つ選手たちを眺めながら試合に出場できない悔しさを改めて感じていたのか。それともそんな感情はとうに忘れ,選手・ベンチが一体となってともに闘っていたのだろうか。その後就職の報告に現れた彼に,私は尋ねることができなかった。自らが信じた道を一途に突き進み夢を叶えた彼に,聞いてはいけないような気がした。

 令和の時代が始まり,近い将来,人工知能が人間を凌駕する時代が到来する,そんな不安が世の中を覆っている。人間らしさとは何か,人間が人間である根源は何か。これまであまり触れることがなかったこれらの問いに真剣に向き合わなければならない。ピッチサイドで憧れのジャージを着て,競技生活を終えた教え子から教えられる。夢を追いかける純粋なまでの「一途さ」は,人の心を震わせ,原点に立ち返らせる。一人の人間の成長過程を見守ることのできる教師という素晴らしい職業。残り少なくなった教員人生を奮い立たせてくれる。